現代農業への警鐘
ども。
夢見る乙女座、20歳の白方です。
なんかこんな言い方すれば可愛く聞こえませんか?
現実はこれです。
ま〜さかりか〜ついだ金太郎ぉ〜
世の中はいつだって残酷で尊いです。生きてるって素敵。
さて、最近すごく考えることがあって。
「自分だけが稼げる農業ばかり追い求めていたのでいいのだろうか」、と。
よく耳にするようになった、「1000万円稼げる農業本!」。
いわゆる稼いで成功した人たちがクローズアップして特集を組むメディア。
成功体験・成功ノウハウばかりが蔓延しつつあるようになっているのでは、と。
社会主義型農業に身を任せていた政府が、今では市場経済に委ねた資本主義型農業へと舵を徐々に取りつつあるのではないだろうか。
その最たる例が「付加価値の高い農作物を作る」ことである。
二年前だったかな。
百貨店の地下街で愛媛の柑橘を売っている店を訪ねた。
そこにはたくさんの種類の柑橘が並べられており、その景色にワクワクと感動で胸が高鳴ったことを今でも覚えている。
試食もバリエーション多く取り揃えていて、その中でも特に「黄金柑」という品種が個人的に一番美味しかった。
しかし、その店員である農家さんがいうには県内の黄金柑の木が伐採され少なくなりつつあるというのである。
しかも黄金柑にに留まらず、伊予柑や温州みかんなどいわゆる大衆向けの柑橘類も伐採されているとのこと。
その背景にあるのが、「付加価値の高い柑橘である甘平や紅まどんなに木を移行させている」という現実である。
何千年と培われてきた農業史の中で形成されてきた多様な環境が資本主義の魔の手により、暗黙の中で「今は付加価値が高い」作物に画一化されているのではいないだろうか。
緩やかに資本主義型になりつつある日本の農業。
ビジネス化し、新規参入者もやり方次第で稼げるようになった。
僕たちはもう一度考え直さなければならない。
農業の本質は「安心で安全な美味しい作物を消費者に届ける」ということ。
生存するための国民安全保障を担っていること。
そして、歴史の中で積み重ねてきた先人たちの経験則が歴史を編み出し大きくは日本の文化を創ってきたこと。
本当にビジネス化し稼げる農家さんを増やすことだけで日本の農業が抱える本質的な問題を解決することができるのか。
この問題を解決しないまま、資本主義の大義の下、ビジネス化した農業が蔓延していけば、10、20年後の日本農業に大きなしわ寄せがくるのではないか、と密かに危機感を感じ始めています。
伊予柑や黄金柑といった付加価値が相対的に低い作物が姿を消し、その土地に根付いていた文化や知見が語り継がれることなく消失していく。
そもそも付加価値の高いモノが市場に蔓延してしまうと、それこそ価格競争を引き起こし、下落していく未来なんて、目と鼻の先にある。
そうなりつつある今だからこそ、農業という「命を守る」産業の価値を考え直さなければならないのではないでしょうか。
[注意]
稼ぐことがダメだとは全くをもって思っていません。ランニングコストを賄えなければそれこそ持続的な農業を目指すことはかないません。
社会共創学部という理論と実践を繰り返して社会に還元できる理論を構築するという異色な学部に身を置いているからこそ感じた僕の想いです。
今日やっと先生の相談を受け、少しだけ言語化することができました。
広い視野のもと、農家さんをはじめ消費者、大きくは行政、政府みんなでもう一度農業という産業を考え直していければいいな、と思い書き起こしてみました。