ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

「何をしたい」から「どう生きるか」へ。

3月1日ー。

 

現大学3回生に訪れる「就職活動解禁日」である。個人的指針としては、今のところ就職はするが一切「就活」なるものをする気はないのだが(と言いつつこの旅が若干、いわゆる「就活」を兼ねているという矛盾が生じているが)、SNSや先輩たちの姿を見渡すとやはり少々考えるものがある。

 

就活生の話を耳にする時、彼らの多くは「どの業界に行く?」、「何になりたい?」、「安定した職業は何?」と「どの職業に就きたいか」という観点で就活に取り組んでいるようだ。(一概にとは言えないし、偏見のようで申し訳ないし、この考え方がダメだ、とも一ミリも思っていない。)

 

 

 

しかし、本当にそれで良いのだろうか。

 

 

 

AIを始めとするテクノロジーが発展して、今ある仕事の半分が消失すると言われている。(もちろん新しく誕生するものもある。)今やりたい仕事が数年後には無くなってしまう、なんてこともこれからどんどん起きうることだろう。

 

4年間、授業やサークルやアルバイトで慌ただしい日々を過ごす中で本当に自分のやりたいことが見つかるのであろうかスウェーデンではギャップイヤーを所得することが当たり前で、逆に所得していない場合、社会から認めてもらえない、といったケースもある。特異な日本の就職形態において他国の事例と一緒にするな、と言われればそれまでであるが。

 

よくオトナたちは「安定した役人や銀行員に就きなさい。」とよく言うが、メガバンクが何万人もの人材をリストラしたり、残業が多く失敗をすればたちまち出世が遠のき、いつしか自分の行動領域が狭くなってしまうケースも多い行政マンのどこに安定があると言うのか。もちろん意思あるそういった領域で活躍されている方もたくさん知っており一概には言えないが、これから「与えられる安定」はないだろう。

 

 

 

では何を基準に就職活動を展開すれば良いのだろうか。

 

 

 

それは「峠」に登場する河井継之助の生き方」に学びたい。

 

 

 

彼は長岡藩の一藩士として生まれた。生まれながら門閥という決して高くはない身分の彼が、当時門閥を差し置いて異例の家老として抜擢されたのは「長岡藩をどう良くしていくか」をひたすら誰よりも考え、自分の命の使い方」を思案していたからである。当時、武士という身分が崩壊し新しい時代がやってくると見通していたはずの彼が、最後長岡藩家老として戦死したのは、まさに自分の望む生き方に従っただからであろう。そこにはある種「サムライ」という芸術作品を想起せざるを得ない。恐らく当時の「侍」という美的倫理観を彼は体現したかったのであろう。

 

 

 

自分はどう生きたいのか。

 

 

 

移ろいゆく季節を引き止められないように、テクノロジーによって生かし殺される、可変的な「職業」を軸に置いた将来選択をしても良いのだろうか。もちろん、だからと言ってその判断基準が不必要であるというわけではない。ただ自分が自分の人生においてどのように歩んで生きたいのか、という不変的な部分を少しでも言語化できていればこの先どのような職種に就こうが幸せな日々を過ごせるのではないだろうか。

 

 

 

とまあ、そう思っていても中々自分の望む生き方を言語化しきれない自分への少しの苛立ちと自戒を込めて書き起こしてみました。でも、常に意思決定の根拠に「ワクワクできるか」はあります。畑は半無限に僕にワクワクを提供してくれるしね。

 

では。