ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

田舎クリエイション

「クリエイティブ」

 

 

YouTuberやフリーランサー、そしてアートの領域で活躍する人が台頭してきた今、よく聞く言葉である。

 

何か「創造力」を用いて形あるものを生み出すだけではなく、組織改革や問題解決などあらゆる分野にて使われる能力でもある。

 

これからAIをはじめとするテクノロジーが興隆してくる今、改めてその「クリエイティブ」な人材の価値が上がっている。もちろん、それが全て良いというわけでもなく、クリエイティブではない人全てが淘汰されるとは思わないが。

 

僕がこうしていわゆる田舎を回って行く中で、クリエイティブな力を発揮している人は田舎にたくさん存在していると、改めて気づかされた。何か生産すると必ず生まれる廃棄物がほとんどない。

 

例えば、牛舎では排泄された糞便を肥料にして米農家に届け、米農家が収穫の際に出る藁を畜産家に届ける。無駄なものが無駄ではないものとして循環しているのである。

 

こういった横文字が使われるといかにも東京をはじめ都会で行われていること、と錯覚しがちだが、そもそもクリエイティブの根幹が違うのだな、と僕は思う。

 

 

 

都会でクリエイティブなものを生み出すのは、あらゆるリソースを用いながら、掛け合わせながら生み出す、いわば足し算型。

 

田舎でクリエイティブなものを生み出すのは、限られたリソースの中で、あるもので何かを生み出す引き算型。

 

 

 

どちらが優劣というものは存在しないし、補完的にこの日本をデザインしていけば、今日本の抱える問題のいくつかは緩和していけるのではないだろうか。

 

ただ資源枯渇問題が騒がれる今、あるものだけで戦うノウハウはもしかしたら田舎から学ぶことは多いのかもしれない。この「もったいない精神」から学ぶことは非常に多い。

 

 

 

地球規模での環境破壊が進んで行く中で、あるもので闘うこの「田舎クリエイション」は文化である。その在来知を結合し、社会に還元できる研究がなせるのが「社会共創学部」というわけか。

 

理論と現場を往還し、共に地域を創り上げていくために、これからもっと学を肥やさなければならない。