ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

テクノロジーと繁栄

科学技術の高度化が近年目覚ましい。

 

スマートフォン一台で生活のありとあらゆる情報にアクセスでき、牛馬に畑を耕させていたり労力を伴う農作業も機械化によって随分と軽減された。終いには人工知能によって将来、既存の人間の仕事が半分ほど奪われてしまう、なんて話も世を賑わしている。このような「科学技術」を含めたテクノロジーの発展はこの21世紀のメインワード言っていい。

 

しかし、この人々の生活を豊かにするであろう科学技術だけをテクノロジーと称しているわけではない。では、テクノロジーの本質とはなんなのだろうか。この時代にテクノロジーを捨て、「発展」をしない方向に舵を切った国がある。世界一幸せな国、ブータンである。(世界一というと語弊が生まれそうだが、国民全員が豊かになっているわけではないということは頭に入れておかねばならない。)

 

そこにはテクノロジーの恩恵にあやかった「大量生産」という概念はない。限られた資源の中であるもので生活を営んでいる。現代の先進国に見られる、「幸せ=モノの豊かさ」という考えは生まれにくい環境にあると言ってもいい。家族の絆、地域コミュニティの繋がりの強さ、伝統文化の継承・・・。今日本が抱えている多くの問題を解決するヒントがここブータンにはあるのではないか。

 

テクノロジーと聞くと、どうにも繁栄に舵を切った日本で暮らして来たからだろうか、「繁栄」をもたらすものだと思って来た。しかし、テクノロジーはあくまで「道」に過ぎないのである。現に、テクノロジーを駆使して反映の道に舵を切った日本は、コミュニティは分断され、文化の画一化は加速度的に進行し、地域社会は衰退の一途を歩み始めている。当然、都市部だけでは全て自給できないので、最終的には都市部の衰退も進行していくだろう。

 

テクノロジーは我々の生活を豊かにしてくれることは歴史が証明してくれている。しかし、それは活用する人間にそれを活用しうる能力、精神性が伴っていなければならない。21世紀、様々な将来への道が用意されることだろう。人類の、しかも特定地域の住む人間だけが繁栄するのか、人類すべてに波及させるのか、それとも人間のみならず地球上に住む生物全てを慈しみ、ともに関係性を築いていくのか。

 

非常に楽しみである。