ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

「関ヶ原」読了。

いや〜、えがった。うん、えがった。

 

約1ヶ月かかり、「関ヶ原」を読み終えました。

 

 

 

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舞台は名に冠している通り、戦国の世に終止符を打った「関ヶ原の戦い」。西軍実質総大将石田三成と東軍総大将徳川家康の開戦に至るまでの緻密な裏工作から三成処刑までを克明に描いています。関ヶ原の戦いと言えば、壇ノ浦の戦い鳥羽伏見の戦いと並ぶ日本三大決戦と称されています。歴史的にみても、豊臣政権から260年にも及ぶ徳川政権への変遷に続くまさに天下分け目の大合戦でした。しかし、そんな大きな意味を持つこの戦はわずか半日足らずで終焉を迎えました。しかしそれでも三代決戦と称されるのはそれだけ歴史的意義の深いものであったことを意味しているのでしょう。

 

現代の戦略家が当時の布陣を見れば、西軍が圧倒的勝利を収めていたと唸らせていたのにも関わらず、なぜ東軍が勝利したのかそれはされぞれ総大将が見る「人間の本質」が大きな差を生じさせてしまったのだと考えます。

 

三成が見たのは「義」。人は義に生きるとみるや、かつて豊臣秀吉が施した恩の数々に豊臣方の武将は応えるであろう、と考えました。もし、それがもう少し遅かれば状況も変わっていたかもしれません。当時、そういった仁義礼智をはじめとする倫理的道徳をもたらす学問は関ヶ原の戦い終焉後の江戸時代に中国から渡ってきます。そんな義に生きていた武将は三成と上杉家の景勝と兼続といった少数派でした。彼らに加え、三成の生き方に共鳴し「男の最大の娯楽」として仕えた島左近、旧知の仲であり、敗北を確信しながらも共に死ぬことを決断した大谷吉継の生き方に胸の高鳴りを感じざるを得ません。

 

一方、家康が見たのは「利」。人は損得勘定で動くものだとし、非常に巧みな政治的工作を施しました。その思惑通り、自家存続のため、正義をもって断罪する三成に敵対心を抱き討伐するため、など様々な己の「利」のために豊臣方であろうと東軍に加勢しました。もちろん、それには時には冷徹に、時には人情深い態度をとることによって各武将を引きつけていきました。そして万に1つも負けることはないと確信してから出陣しました。

 

三成はもう帰ることがない佐和山城を降りる時、敗北を確信していたのかもしれません。しかし自らが義に生きることで美徳に生きる自分を芸術作品に見立てていたのかもしれません。吉継、左近然り。

 

このように他にも様々な武将が登場し、彼らの価値観、生き方がそれぞれ描かれています。「峠」と同様、歴史上の人物の生き様を克明に描いたこれら歴史小説。とても面白いので、ぜひ。

 

次は「項羽と劉邦」にいきます。