ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

農業の大規模化

現在お世話になっている北軽井沢での農家さんは農地を15ヘクタール所有している。

 

一枚一枚がでかく、先が見えない、なんて冗談まじりのようであるが事実である。ここの一枚の畑で他の大部分の農家さんの分散された畑の総合面積と言っても過言ではないだろう。

 

 

 

f:id:local-hunter-hiro:20180512205507j:image

(1畝が150メートルを越す畑も。加えてそれが何本も畑に連ねられている。中腰のまま定植するのはかなりの負担がかかるため「なえっこ」という座りながら定植する機会も揃えられている。)

 

 

 

よく聞く「土地集約・大規模化」。まるでこれから農業で稼いでいくためには大規模化しなければ不可能である、と言わんばかりの勢いである。

 

農業先進国と言われている欧米は日本をはるかに上回る耕作面積を保有している。アメリカの先が見えない、あるのは地平線・・・。そんな畑を一度は目にしたことがあるのではないだろうか。これに乗じ、畑をどんどん拡大すれば稼げるんじゃね?的な論旨はこれまでいくつかの記事で目にしてきた。しかし、本当にそうなのだろうか。現場からの目線で3点気になったことをここで述べることにする。

 

 

① 規模化に伴うコストの増加

 

これは至極当たり前のことである。土地の借り賃、農薬やマルチといった農業資材、運送・燃料費・・・。挙げればきりがない。その中でも極めて大きな割合を占めるのが、機械費用と人件費である。機械にかかる費用は何も購入費だけではない。減価償却費、修理整備費など付随する費用もバカにはならない。そして人件費。大きい一枚の畑に同じ作物を定植することは同時に、病気や害虫によって商品を出荷できないリスクも孕んでいる。すると当然、収入は入ってこない。規模化することによって人を雇う必要も出てくる。人件費は固定費であるため、収入が入ってこようが細いが支払う義務がある。人件費だけではなく、それを支払うためのリスクマネジメントも当然しなければならない、というわけである。

 

 

②システム化の弊害

 

大規模化することによってシステム化は必須になるだろう。作業プロセスごとにマニュアルが決めそれを淡々とこなしていく。コストを削減するために工場化を目指す経営者は少なからずとも出てくるだろう。オランダで農業研修している友人と先日話した際のこと。現地では横の分断が進んでいるという。農作物生産は何種類もの作業工程に分類することができる。播種、育苗、定植、農薬散布、収穫・・・。これ以外にもまだ作業工程はあるのだが。その作業プロセスごとに専門の担当者を配置し生産しているという。一般的な会社でいう部署配置が行われているのだ。他の産業からすれば当たり前のことであるのだが、日本の農業では比較的珍しいケースである。しかし、時として完全なるシステム化は思考停止につながりかねない。与えられたマニュアル通りに仕事をすればいいので確かに効率はいいが、個人的に退屈に感じる。誰にでもできるから。テクノロジーが発展し、アルゴリズム的な労働はAIや機械が代替していく未来が迫っている中、このような仕事に対して需要が高まるとは到底思えない。

 

 

③大資本との差別化

 

近年の農業ブームにかこつけ、様々な企業が農業界へ進出している。現状ほぼほぼの企業が苦戦しているようだが、今後それら失敗例を分析して今後につなげていくことだろう。もちろん、有機栽培みたく高付加価値、健康ブームに乗じた農法も実現していくはずだ。彼らの投入する大資本によって実現する工場化による大量生産体制に我ら一農家が太刀打ちできることは到底考えられにくい。加えて先述した通り、欧米はすでに大規模化による農作物の大量生産を行なっている。その中で、同じように大規模化し、システムを組んで工場のように大量生産していくことを良しとする風潮に甚だ疑問を感じるところである。それならば小さい農園で手塩をかけて育てて「誰が作った」のかでマーケティングしていくほうがよっぽど大企業との差別化が図れるだろう。

 

 

 

もちろん大規模化が悪だ、と断定する考えでないということはあらかじめご了承願いたい。しかし、大規模化すれば稼げるという安直な考えに現場で違和感を感じたのである。これから高齢化により農業の生産人口は減少していくだろう。一見非常事態のように聞こえはするが、これを契機に土地を集約し、農家一人一人の目指したいスタイルに合わせて土地集約を行っていくことが農地保全、攻めの農業につながるのではないだろうか。