ローカルハント! 村上市
「感性が爆発する」
そんな胸の高鳴りを感じた経験をしたことがあるだろうか。
レイチェルカーソン著「センスオブワンダー」にあるように自然の中にある美しさに目を奪われる。あるいは大好きな歌手の歌を聴き涙がとめどなく溢れる。そんな経験を誰しもがして来たのではないだろうか。
僕はこの旅に出て一番自分に驚いたことは、「自分の感性に素直になれる」ということ。これは裏返すとあまりにも無知すぎるということとしても捉えられなくはないが、目の前に物理的に現れる、もしくは内面的に認識する自分の価値観にヒットしやすいのだと思う。
大学一回生の時、水産社会学という講義を受けた際に漁業資源枯渇の問題をテーマに村上市のモデルケースが取り上げられた。資源保護とともにその地域に伝わる鮭の活用文化についても触れる時間があった。それが鮭の塩干である。
鮭の塩干とは読んで字のごとく、塩を揉み込み日本海側の寒風に当てて軒先で干すというもの。当時は現在とは異なり冷凍技術は発達していなかったので、地元の人々の生きる知恵によって編み出したこの技術で保存食として活用していたそう。その文化が今も脈々として受け継がれている。
(このように軒先に風を当てて干している。お腹の部分を見て欲しいのだが、完全に一文字に裂かれていないことが分かる。これはここ村上市が城下町で武士の切腹を連想させないために完全な一文字にしないという当時の人々の心遣いが現れているのだとか。)
また保存という意味合いだけではなく、旨味の引き出しとしても多いに活躍する。塩を丁寧にもみこむことで上質な旨味を引き出すことに加え、寒風に当て熟成を促進することでもさらに旨味を引き出します。
お土産のアンテナショップの奥にひっそりと酒が干されている光景を見たとき、内から沸き起こる完成の大爆発に終始顔が緩んでいた。ついに念願の光景にお目にかかれた、と。
(倉庫の中で丁寧に塩が揉み込み、熟成させているところ)
(ここ村上市では鮭の心臓の刺身を食することができる。目玉がくり抜かれていることから分かるように、鮭の全ての部分をもてあますことなく食すことで自然の恵みに感謝する人々の哲学を察することができる。)
それだけではない。その感動をより決定的にしたのが車を進めて15分ほどの山間の集落の家にもこの塩干が行われていたということである。
今全国の地方を見渡してみるとこのような先代の方々が生きる知恵として編み出してできた文化が消失しかけている。文化とは後付けのものであり、時代ごとに最適化が図られ形を変えていくものであるから、近代的な文化は今や町の原風景としてはなかなか見受けられないというのが現状である。そんな中で、鮭の塩干というライフスタイルとして残る近代的な文化を見たときの感動は今も忘れられない。
今もなお受け継がれている昔の人々の生きる知恵が生み出した文化に、僕の感性のトリガーは引き抜かれたのであった。