ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

読書論

半年前から読書に力を入れ始めて31冊の本を読み終えた。

 

もちろん数がものを言うことは一切ない。それらが血肉になっていなければそれは無に帰すだけである。

 

1日の読書時間が0分の大学生が過半数を超えるこのご時世、読書から得られる言葉の深みに魅力を感じずにはいられなかったのかもしれない。時勢に対する逆張りといったところか。

 

その時から領域問わずありとあらゆる本を貪り始めた。司馬遼太郎に始まる歴史小説、農業の造形を深めるべく植物生態学、土壌学、法律・・・。特に最近はもっぱら哲学系統の本に熱中している。

 

記念すべき30冊目。と言いたいところではあるが31冊目にこんな本に出会った。

 

 

 

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幻冬社を立ち上げた見城さんの読書論である。経営者や著名人の書き下ろすビジネス書には一切興味がなくなった自分にとって、こういった本はご無沙汰である。半年前、読書不要論を唱えていた浅はかな自分はなぜ読書に熱中し始めたのか。読むに重ねて考えてみることにした。

 

 

 

言葉が思考を創り、思考が果てしない未知なる人生を切り拓いていく。

 

その「言葉」は「読書」から得られる、と見城さんは語る。まさにタイトルにもある「読書という荒野」はぴったりである。

 

僕は若い。まだ20歳だ。初対面の人に自己紹介する度に、「嘘をつくな」という鋭い眼光が向けられることにようやく慣れてきた頃であるが。

 

若さゆえに言葉に重みがない。経験がないからである。実体験にも基づかない言葉に重みはない。かつて世界初の有人宇宙船に搭乗した旧ソ連の宇宙飛行士ガガーリンが「地球は青かった」と言うのと、僕が図鑑を見て「地球は青い」というのとではまるっきり言葉の持つ力の差を感じれるはずだ。

 

言葉が軽いとついつい理想世界に入り浸ってしまう。現実離れした夢想家になり、現実主義者の人々から「現実を見ろ」、「社会はそんなに甘くない」と批判されてしまうだろう。だがそれはそれでいいのかもしれない。時代を切り開いてきたのは紛れもなく自分よりも下の世代である。現実離れした夢追い人が今の世界を作り出したのだ。

 

僕は「読書をすること」を「脳のアウトソーシングと位置付けている。

 

僕の審美眼の一角には「峠」に出てきた河井継之助が佇んでいる。常に自分の生き方が美しいかどうかの審判団の一員を務めている。

 

これから何か組織のリーダーとして立ち振る舞う時、「項羽と劉邦」に出てきた劉邦の空気感が無意識に体から滲み出てくるはずだ。

 

「ウェルテル」は自らの手で人生に幕を下すことを絶えず唆してきて、小松美羽さんは「文化とは何か」という問いを僕に課した。

 

様々な本を読むことによって自分の人生では到底体験できるはずのない世界へ招いてくれる。現代社会風に言えば、本とはさながらVRのようだ。

 

経験が人生にどう深みを与えてくれるのか。僕は「問いを立てられること」に他ならないと思っている。問いを立て、自らの言葉をもってして血肉とし、それが思考に消化され、哲学が構築されていく。

 

これからも生きていく限り「読書」は続いていく。