不老不死は人間に「幸せ」をもたらすのであろうか。
人間には自らの意思で選択できない事象が2つある。
それはこの世に生まれることと死ぬことである。(死に関して言えば安楽死を合法化している国もあるので、厳密に言うと「選択できる」ことになるのだが、ここでは選べないものとして考えることにする。)
これ以外の事柄は全て自らの意思によって選択できると言っていいだろう。どんな大学に行き、どういった友達と付き合い、どの会社で働くか、はたまた会社をやめるやめないの選択も全て自らの意思に起因するものである。会社を辞めることになると、家族がいるから、だとか、会社に迷惑をかける、だとか様々な理由によってあたかも自分ではやめられませんと言う人もいるが、それは自分でそう言った理由づけをして自分が会社をやめない理由づけをしているだけに過ぎない。
今、日本人の平均寿命は83歳で世界第2位の長寿国である。医療の発達や社会の安定、食事等様々な要因によって日本人の寿命を伸ばし続けている。
そこで出てくる問いとして、「人間はいつまで生きられるようになるのだろうか」がある。
群雄割拠の戦国時代を終わらせ、中華統一を実現した始皇帝が後に不老不死を求めたことは有名な話であるが、そんなお伽話のような不老不死が実現できる時代もそう遠くはないだろう。
ただ、果たして我々人間が不老不死を手にして幸せを実現することは可能なのだろうか。
否、僕はそうは思えない。
高校時代、部活動の顧問に度々怒られて「走って来い!」と何度言われたことか。その時の心情として、いつまでどこまで走ればいいのだろうか、と得体の知れぬ不安と幾ばくかの恐怖感に苛まれたことを今でも覚えている。(結局大して走っていないのであるが・・・。)
一方であらかじめ距離であったり時間が決まっているとどうだろうか。どんなタイミングで力を入れたり抜いたりすればいいのか戦術を立てれたり、モチベーションの管理をしやすかったりする。
つまり、不老不死=時間を無限に生み出せる、終わりが見えない世界に僕は覚悟を持って前に進められない。
僕は終わりのない世界には何の価値も、意味もないと思っている。終わりがなければ誰でも何でもチャレンジして目標を達成することができるだろう。漫然と毎日を過ごして言っても、無限にある時間はあなたに結果をもたらしてくれるだろう。あなたの努力ではなく、時間が全ての物事を解決してくれるようになる。そんな世界に果たして魅力を感じられるだろうか。
人生には「死」という有限をもたらすビッグイベントがあるからこそ価値を発揮する。意味を見出せる。僕はありったけの夢を有限の時間の中で戦略を立ててどう実現するか、時間と駆け引きしなければならない。もしかしたら人生の大半を費やしてもそれは1つも実現できないかも知れない。だけどそれでいいではないか。掴めるかどうか分からない、先の見えない未来へチャレンジするワクワク感を存分に楽しんでいこうではないか。
もう永遠に手を伸ばすことやめよう。「死」という来るべき事象は紛れもなくあなたにやってくる。来世もやってこない。だから今、自分に何ができるのか、どう自分を満足させることができるのか。それを探求し、行動し、実現していくだけでいいのではないか、と僕は思う。