ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

この次の青空はいつなのか分からない。

いつからだろう。

 

目の前に広がる景色が6インチにも満たない画面になったのは。

 

いつからだろう。

 

画面を挟んで乾杯の音頭がとられるようになったのは。

 

 

 

午前6時。空港通りにあるとある建築会社に車を停車させ、眠たい目をこすりながら待っていた。そう、今日はあの凄惨な豪雨災害を受けた南予の野村町に仮設住宅を建てるボランティアバイトに行く日だ。

 

あの日、僕は北海道にいた。その少し前に同じく北海道にも台風が直撃していて、身を以て自然に支配されている生物であることを痛感させられた。

 

汗水流して、様々な思いを巡らせて育ててきた作物は一瞬にして水に流された。どんな思いで建てたのだろうか。まるで人生の伴侶かのように共に過ごしてきた家々はいとも容易く水に沈んでしまった。

 

自然には抗えない。むしろ、自然を手なずけようとする今の人類の営みの傲慢さたるや。だけど、生きていく以上、その自然と対話し、どう自然に溶け込ませていくのかを考えなければならない。

 

抗いようのない現実を突きつけらながら、ゆらりゆらりとその現場へと向かっていった。

 

道中、陥没した道路がまるでそこだけが時間を止められているかのごとく、当時の状況を記憶していた。山肌はおそらく豪雨によって削り取られていた。現地の方々の遣る瀬無さを推し量り切ることもできぬまま、仮設住宅が急ピッチで建設されている現場へと到着した。

 

5社もの建築会社がこの1ヶ月足らずで建設完了を目指していると言う。テクニカルの部分は何もできないので、後方支援という立場で1日携わらせていただいた。

 

今、学生は夏休みの真っ只中。仮設住宅が建設されているということは、家に被害を受けた方々は体育館など一時的な仮住まいでの生活を余儀なくされていることだろう。いつもの当たり前の夏休みが、川や海行き、毎朝眠たい目をこすりながらラジオ体操に行き、そして宿題に追われながらも皆満足げな表情で二学期の幕を開ける。そんな日常が突如として非日常へと変容してしまった。今も各地でボランティアスタッフの不足が叫ばれている。

 

自分には何ができるだろうか。

 

一日中、それだけが頭の中を支配していた。

 

そんなことだから、時間はあっという間に過ぎた。夕暮れのサイレンが終わりを告げ、少しの疲労と朝早くからの眠気とともに車へ乗り込み帰路へ着いた。

 

窓から溢れる夕日が、眠りについていた自分にまるで話しかけるように車内に注ぎ込んできた。今日はお疲れ様、と。眼前に広がる景色は無力な僕に一筋の希望を与えてくれた。

 

 

 

もしかしたら、「当たり前」は存在しないのかもしれない。瞬間瞬間の「当たり前」なり得るものがただただ連続して起きているだけに過ぎないのではないか。その過去の総計が「当たり前」という虚構を生み出しているのかもしれない。

 

今、自分はその瞬間の「当たり前」を目に焼き付けることはできているのだろうか。間接的な、実態のない媒介物を介在させることによって、あたかも自分が認識しているかのような錯覚をしてないか。

 

この次の青空はいつなのか分からない。