ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

それでも僕は紙の本を読む。

ども。

 

昨日一昨日は暑かったですね。台風の影響でしょうか。おっと台風と言えば、この季節に来るのかと言わんばかりにぼこんぼこんと24、25号が出現したりとものすごい変化を目の当たりにしました。自然災害が増加傾向にありますし、季節の移行時期でもあるので、気を付けたいですよね。

 

さて、秋と言えば「読書の秋」ですよね。

 

えっ・・・?

 

その図体で読書かよ、飯食ってろよ、と冷たい視線を感じるんですけど・・・。

 

まあそれはさておき、皆さんは読書をどうされていますか

 

積読は絶対しないだとか、表紙で買う買わないを決めている、とか様々なマイルールがあると思います。これだけでも1時間2時間語れると思うのですが、その中で一番と言っていいほど激論になっていると思うのですが、

 

 

 

読書をするには、紙か電子か。

 

 

 

結論から言うと、僕はTPOに使い分けています。家で読むには必ずと言っていいほど紙の本ですし、短期旅行は電子書籍をダウンロードして移動中に読んでいます。

 

ただどちらかを選べと言われれば、迷うことなく僕は絶対「紙の本」を選びます。紙推し、単推しです。推し変は致しません。それは罪です。その理由としては大きく2つあるので、以下でそれに触れていきましょうか。

 

 

本棚で育った幼少期。

 

僕の母親はよく本を読んでいたり、祖母は図書館で借りた小説を机に積み上げていました。道路を挟んで祖母の家があるので毎日アイスをもらいに行っていたわけですが、行けばテレビで時代劇を見ているか、小説を読んでいるかのどちらかでした。僕自身も様々な図鑑を読み漁りましたし、偉人の漫画や〇〇の秘密といった漫画は学校の図書室にあるものは全部読んだ記憶があります。極めつけは図書館三大図書と自称している「シャーロックホームズ」「ダレンシャン」「かいけつゾロリは馴染みの深い方も多いのではないでしょうか。図書館や書店に行けば今でも大興奮の白方です。

 

そんな紙媒体中心の環境で育ったわけですが、今でも紙を好んで選択しています。あの紙の懐かしいにおいやめくる時のアナログな音が更に自身の知的欲求を高めてくれるんですよね。

 

将来的にもし自分に子供ができたら、自分の本棚を観て育ってくれたらいいな、なんてことも思う時があります。もちろん見ろ!読め!と押し付ける気は1ミリもないのですが、僕がどんな本を読んで育ったのか、少しでも興味を持ってもらって自分の知的活動に活かしてくれたら、この上ないほどの嬉しさですよね。

 

「自分」に没頭できる数少ない空間。

 

これが紙を選択する最も大きな要因なのですが、スマホと自分を切り話せる空間」であるからです。電子書籍スマホiPadといった機械が必須です。それらは日常生活に必須なもので、事ある度に目にしていますよね。「支配されている」と言っても過言じゃないでしょう。

 

現代人はオンラインの環境に依存しています。もうどこにいても誰とでもコミュニケーションを取れるし、膨大な情報量と相対しながら選りすぐりの情報を信じて生きています。飛行機の中でも船の中でもWi-Fiが行きかい、インターネットと接続できない場所はごくごく一部となっています。オフラインの環境を創るために自身の意識を動員させなければならないというある意味不便な環境になっています。

 

僕は紙の書籍がそうしたオフラインの環境を生み出すことにより、情報量を制限し、自分で思考できる空間を意図的に創ること、ストレス負荷の高いネット社会と自分を切り離すパーソナルスペースを創ること、この二つが紙を選択させる大きな動機になっています。

 

 

以上2点が僕を紙へと導く大きな要因です。まあ最終的には個人の好みや利便性に依存すると思うのですが、テクノロジーの運用は活用するかしないかの選択ができると思うので、周りに流されず自分の物差しで運用することをお勧めします。

 

では。