セレンディピティな毎日。
アルキメデスは町の共同風呂に入っている時に浮力の原理を発見したと言う。
ニュートンはリンゴを落ちたのを見て万有引力を発見したらしい。
ども。お久しぶりです。
相変わらず暇を極めています。
朝起きて本を読み、大学で面白い講義は真剣に耳を傾け、そろばん教室で子供達と練習し、家でまたまた本を読むか予習をして寝るという超絶健全な大学生活をしています。THE大学生。日本で大学生らしいランキング第666位ぐらい受賞しそうな勢いです。
休日には農家さんの元へ訪ね、新しい働き方として右腕型の農業参画を企てたり、自分の畑を耕しています。先週はチンゲンサイを植えました。もう少ししたら間引き行かなくちゃ。
とまあこんな感じで超絶ゆとりのある時間を過ごしています。最高ですね。人間はそんな急激なペースで成長したり、思考が変わったりしないので、ぼちぼちと自分のペースで生きていきたいと思います。
さてさて、最近実生活でものすごく感じていることがありまして。
というのも、
自分の持っている問いに対して注力して考えている時には答えが出てこない
ということです。
例えば、Aという問いを考えている時、その問いに対して自分が納得するようなスッキリした答えに出会えることはほとんどありません。しかし、散歩をしている時、寝ようと布団に入った時、何気ないひと時にふとその問いに対するヒントや答えに導かれることが多々あります。ドバドバとヒントやアイディアが出てきます。
今こうしてブログを書いている間もどう言葉を選んで組み立てようかという問いに対してパソコンの前でうーーーーん、と唸りながら考えるのではなく、筋トレをしたり、ゲームをしたり、単純作業をしたりしながらしています。それらのプロセスで浮かんだものをメモしながら組み立てていくのです。
寝かせたりするのも良いですね。出てきた問いを頭の片隅に寝かしつつもまた次の問いについて頭を悩ませる。その間に思わぬヒントや答えと巡り会えたり、問いそのものがアップデートされることもあると思います。
問いに対して答えが出ない、すなわち同一視点からは現段階では深められないことを意味していると思います。だから別の視野からアプローチする必要がある。そのために一旦問いを寝かせたり、他の問いと統合たり細分化する必要があるのではないでしょうか。ただし、その間には頭を働かせながら変化に気づき、思考する必要がありますが。
言うは易し行なうは難し。難しいんですけどね、ははは。
ではでは。