ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

憧れから嫉妬へ

「憧れ」はどんな時に感じるものなのだろうか。

 

何か偉業を成し得た時なのか、はたまた名声や富を築いた時なのか。

 

否、僕は「自分では追いつけない何か」を痛切に感じた時である。

 

憧れとはある種「諦め」なのかもしれない。あらゆる言い訳を並べてその人を神格化し、あの人だからできたんだ、とまるで自分があらゆる努力を尽くしてきたかのように正当化する。そこには到達できないと分かった時に生じる感情こそが憧れだと僕は思っている。

 

そんな「憧れ」の目線で追いかけていた先輩がいた。そう、S・H先輩である。つい先日東京であってきた。ちなみに「しらかたひろおみ」ではない。(確認するまでもない。)

 

一回生の夏休み、ウェールズに1ヶ月間の語学研修に行き、秋にはencourageという学生団体が運営する就活セミナーに参加し、企業イベントに顔を出し、台湾にはボートレース大会に参加しに行き、クラウドファンディングをして休学をした。これは全てその某先輩が通ってきた道のりなのである。

 

もうお気づきであろうか。

 

うむ、悔しいほどに。まるで僕はコピー人間かのように後ろを歩いてきた。まさにジンベイザメにくっつくコバンザメのようだ。違いと言えば、見た目がジャイアンかそうではないか、ぐらいか。なのに、同じ道のりをたどってきたはずなのに、会う度に感じるのは羨望であり、密かな憧れであった。そこには大きな溝があり、決してたどり着けない。

 

ただ、今回は違った。それは決してその某先輩が退化したわけでもなく(いやむしろやばいほどに前に進んでいる。やばい。)、逆に僕が彼に近づいたわけでもない。自分がその溝を埋めるべく何かに力を尽くしていなかったことにこの休学期間で気づいたからである。要は「憧れ」を使って自分が何も力を尽くしていないことの言い訳にしていたわけだ。

 

そうしたらもうすごいよね、手のひらを返したかの如く嫉妬を感じちゃって。憧れの裏返しって、「嫉妬」なんだ、と。なんで先輩ができてんのに俺にはまだできていないんだ、知らないんだ、って。ようやく憧れの対象から嫉妬心芽生えるライバルになったわけだ。負けてらんない。

 

進んでいる分野は違えど、会う度に進化する姿を見せられたらいいな。なにやら噂では将来愛媛に戻ってくるらしい。僕も将来は愛媛で畑を耕す。お互い思い描く愛媛の未来が少しでも良い方向へ向かっていればいいなあ、と思った時間でした。