ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

「自分探しの旅」に今から出る必要はない。

平成最後の夏がもう時期やってきますね。

 

「平成最後の夏」と言ってしまえば、何事もがお祭りのような気がしてやまないです。最後の海開き、最後の夏祭り、そして平成最後の花火デート・・・。

 

急を要する重要なので繰り返します。平成最後の夏、花火大会に一緒に行ってくれる女性の方を募集しております。(注意:時給は発生しません。また残業という名のおつきあいが発生する場合もございますので、予めご了承ください。)

 

よくよく冷静に考えれば来年も同じイベントが当たり前のようになってくるのに、1つラベルが貼られるだけでこうもイメージが変わってしまうとは。人間様も単純な生き物なのですなぁ・・・。(遠い目)

 

 

 

さて夏と言えば、有無を言わさず「夏休み」と連想する方も多いと思います。まあそうですよね。夏休みの来ない夏なんて、ビッグマックを頼んだのにパティが入っていない嫌がらせみたいなもんですよね。

 

夏休みに旅行に行かれる方も多いと思います。ちなみに僕も大阪、仙台、そしてイギリスとイタリア←NEW に行ってきます。

 

そこで度々SNS等で目にするのが、

 

 


「自分探しの旅に行ってくる!!!」

 

 

 

・・・。

 

これに対して思うところが度々ありまして、1年間日本中を旅して思った結論を述べると

 

 

 

「外の世界に自分はいない」

 

 

 

ということです。(個人的見解です。それがトリガーとなり、自分のアイデンティティに気づく場合もありますので一概には言えませんが・・・。)

 

僕たちの思考は紛れもなく、過去の経験から形作られています。自分の好きな食べ物と聞かれた時、今まで食べたことのある食べ物の中からしか選ばないでしょう。食べたことのないものを好きだ、という人は何か突出した想像力がある方だけでしょう。

 

自分探し、つまり自分のアイデンティティを深掘りするのは今まで自分の歩んできた道を逆戻りするほかない、と僕は思っています。

 

実際、この旅で「自分にとっての幸福とは何か」という命題を抱えて毎日思考していました。そこで先日ようやく出てきた自分なりの回答は、「家族から受けてきた愛」だったんですね。彼らから受け取ってきた様々な愛を僕は幸せとして享受し、幸せの基準が形成されてきました。

 

例えば、めちゃめちゃ美味しい食べ物を母は何故か僕にくれていたし、父はただひたすらに僕の一方的な話を聞き受け入れてくれました。弟の正義感には僕も生きる姿勢を正されたし、祖父祖母からは人をリスペクトすることを背中で教えられた。

 

無償の愛、傾聴すること、情に厚く義に接すること、他人をリスペクトすること・・・。それら愛情たっぷりの行為全てが自分を幸せにしてくれたし、そして恐らくこれらが他の人たちの多くを幸せにすることだろうと思います。自分と他人を幸せにすることは自分の生きてきた過程にしっかりと刻まれていたんです。

 

自分探しという名のアイデンティティの再考は、外へ外へと見える世界を広げる必要はありません。

 

自分の内側へ潜り、生きてきた軌跡を辿るほかない、と僕はこの1年間を振り返って思います。

 

 

 

平成最後の夏ぐらい、外部の人々に話を聞く前に家族から自分の人生の歩みを聞いて自分と対話しろ!

 

 

 

と僕の潜在意識が僕に語りかけてきます。

 

そうですね。1年間外の世界に入り浸っていたので、平成最後の今年の夏くらい家族、そして自分との対話の時間を大切にしていこうかな、と思います。

 

では。