ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

時代遅れの「地方創生」

日に日に暑さが増し、首に汗が伝っていく。蝉の鳴き声がそこら中に響き渡り、水辺で水しぶきをあげている子供達の姿が愛らしい。そうか、今年もまた夏がやってきたのか。

 

そして時同じくして、高野山でアツイ地方創生会議の時期がやってきた。

 

 

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空海の御廟、奥の院に続く道。神秘的な力が宿るこの地で再び全国各地で地域を、日本を良くしていこうと志す200人以上の人たちが集まった。イベント詳細はこちら➡︎https://peatix.com/event/335846/view

 

 

 

さて、この「地方創生」という単語が馴染みになって久しい。思い返せば2014年の第二次安倍内閣が発足した際、ローカルアベノミクスと称してこの「地方創生」という概念が発生した。

 

それ以来、地方でのビジネスに関して多額の補助金がつぎ込まれたのにも関わらず、あいも変わらず東京一極化集中は止まらないし、地方も地方で少子高齢化、人口減少等により生じる諸々の問題は依然深刻さを深めている。

 

この1年間、たくさんの地方の農家さんを訪ねてきた。その地域の現状や問題意識、どうこれからその地域を導いていきたいのか、現場の声をひたすらに聞いてきた。そんな中、まるで地方は何も努力していない、能力が低いと言わんばかりに「地方創生」と曖昧極まりない言葉のベールで包み込むのはいささか失礼ではないのか、とも感じていた。そもそも論、4年前と比較すると社会の潮流は大きく変化しているのにも関わらず、なぜその「地方創生」という概念はアップデートされていかないのか

 

「地方創生をしています!」と言われると、なんだか良いことをしてそうな雰囲気を感じる。ただ、これは思考停止に他ならずそれを冷静に見なければならないだろう。それが本当に地域の問題に対して効果的なアプローチができるのか、補助金先行でお金を中央から取るためにやっているだけなのか(実際にその名を冠して実際何も効果的なことをしていない企業は多い。)等々それをなぜあなたがするのか、それをどんな結果に導いていくのか、そして本当に自分がそれを望んでしたいことであるのか、の部分をもっと深く考え、はたまた他の人のそれを見抜ける審美眼を養う必要があるのではないか。

 

 

 

「地方創生は結果論であって、目的論ではない」

 

 

 

もちろん一概に善悪の二元論で語り得ないが、地域の舵取りをする前に自分の舵取りをする必要がある。自分のやりたいこと、なすべきことを思考し、実践し、それが形作る未来が結果として「地方創生」に繋がってくるのではないか。そして社会の変化とともにテクノロジーや思想も刻々と変化している。それに伴う未来の地域の姿もアップデートしていかなければならない、そう改めて感じた2日間であった。

 

 

 

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