ローカルハンター ヒロ

全国を旅しながら農業や田舎の情報発信をしていきます。

大人たちは「失敗しろ」と言うけれど。

「若い時は失敗しろ!」

 

とよく言われる。おはよう、こんにちはレベルで言われる。耳にタコができるどころか、すでにタコの養殖場になってしまっていて、今すぐに生ダコの刺身で居酒屋を4店舗ほど経営できそうな状況だ。(するとは言ってない)

 

自己啓発の本を開ければ、授業で、講演会で皆一様に「失敗しろ」と。

 

これに対してすごく聞きたいんですけど、それを言う人たちは皆失敗に向かって走っているのですか、と。

 

確かに、失敗はたくさんの学びをもたらしてくれる。なぜなら、失敗が起きた原因に自身の欠落した何かが潜んでいる可能性が高いからだ。

 

しかし失敗は学びになるが、学びは失敗だけからしか学べないわけではないでしょう。失敗は学びの糧になりうる要素を幾分か含んでいるけど、失敗を体験すれば学びになるわけではない。

 

あらゆる事実から自分が思考プロセスを通して、自分の言葉にしなければそれは学びにならない。学びの糧を後々見てみると、失敗という事実が多かった、それに過ぎないのである。

 

人生において、全て成功している人が仮にいたとしたら、彼はその成功から学んだり、他者の失敗から学んでいるはずでしょう。逆に失敗しかしていない人でも、それから自分の言葉を創ることができず、前に一向に進んでいない人もいるでしょう。

 

僕は失敗を望んで行動しているわけではない。むしろ、成功(僕自身の定義として、自分の関係半径数メートルに存在している人を幸せにすること)することのみを考え、知略を練り、わずかばかりの胆力と覚悟を携えて未来に足を運んでいる。

 

だからこそ、「失敗しても大丈夫」なんて絶対に思いたくはない。

 

 

 

 

私とあなたと、世界とは何かというだけの話。

「世界は何でできているのか」

 

誰しもがこういった類の問いを一度は抱いたことがあるのではないだろうか。

 

「生きるとは何か」、「死とは」、「存在とはどんな状態を指しているのか」…。

 

先の問いに対して、「鉱物でできている」だとか無味乾燥な解を求めているわけではない。

 

結論から鍛高譚と言うと、僕は世界は言葉でできている、と思っている。というよりも、そう考える他ない。(ここで「世界」とは「惑星の地球」、としてではなく、「自分の捉えうる世界=自分の認識限界」と定義しておくことにする。)

 

なぜなら、知らない言葉を私たちは存在として認識することができないからである。

 

例えば、好きな食べ物を聞かれた時、普通は今まで食べたことのある食べ物から選択するはずである。食べるという行為を通して、それに対する感性を言葉にし、好き嫌いを判断しているはずだ。

 

逆にここで食べたことのない食べ物、つまり言葉にできていない何かを判断基準として判断することはできない。(世界に存在していない=言葉が世界を創っていると言える)

 

自身の世界の広さは持ちうる言葉の多さに比例するのではないか。自分の言葉が多ければ多いほど、捉えうる世界の広さは半無限に広がっていく。

 

少しでも自分の「世界」が豊かになるように、言葉と出会いに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロローグ閉幕。

ども。

 

この出だしを使い始めてもう1年経とうとしています。まるで時が自分の存在を薄めていくかのような早さで過ぎ去っていくのを肌でひしひしと感じています。

 

本日7月25日を持ちまして無事に家に到着したことを報告させていただきます。

 

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まずはこの約1年間、様々な形で協力してくださった方、応援してくださった方、相談に乗ってくれた方、そして何より、この自分のチャレンジに対して最大限のサポートと快く送り出してくれた家族に感謝したいです。ありがとうございました。

 

 

この旅を終えて 

 

 

ひとまず区切りとして、今回の旅は終わりました。ただ、行けなかった九州や日程的に伺えなかった農業経営者の方もたくさんいるので後日、休日や長期休暇を活用して伺えたらな、と思っております。旅そのものはまだまだ続きます。

 

さて、ひと段落したところで、今特に感じていることが2つあります。それは覚悟の必要性農業の可能性です。

 

もしこの旅をせずして就農していたら、恐らくものの数年で挫折していたと思います。農業は常に自然と相対しています。何が起こるかわからない、未知の未来が広がっています。毎日が不安との闘いです。自然災害によって、収穫目前にした作物が水の泡になることもありますし、天候不順でそもそも結実しない、なんてことも実例として聞きました。そういった不安とどう向き合っていくか。

 

 

この旅の初めにお世話になった農家さんが「お前は覚悟があるのか」と聞いてきました。正直、今も覚悟が決まっているかと言われればそうでは決してありません。ただ、現時点で責任を持たずして農業をしている自分にとって、そんな覚悟は薄っぺらいものに過ぎないと思います。これからより農業と時間をともにすることによって、ゆっくり覚悟を決めていきたいと思ってます。

 

そして改めて感じた農業の可能性。それは現場で不断に思考されている農業経営者の方々を目の当たりにしてきたからこそ感じたものです。

 

毎日作業内容を見直し、効率よくするためにはどうすればいいのか。収量を上げるためにどのように施肥設計を、栽培管理をすればいいのか。そしてその価値ある作物をどのようにして多くのお客さんに届けていくのか。

 

5年10年試行錯誤し続けしながらひたすらに改善を重ねる農業経営者の姿に、僕は日本の農業の未来に一筋の希望を感じざるを得ませんでした。そしてそんな先輩方に尊敬の念と誇りを抱いています。

 

 

将来へ・・・。

 

 

僕が将来成し遂げたいこと。それは、世界平和を実現することです。

 

平和について考えるようになったのは、以前台湾にボートレースの国際イベントに参加した際に、イスラエルの方が「平和」と強く言われていたことがきっかけでした。

 

恐らく一般的な平和の解釈として「武力闘争(戦争や紛争など)が生じていない」状態のことを指していると思います。

 

では、日本は今本当に平和な状態なのでしょうか。憂さ晴らしのための殺人事件、差別、格差問題、そして何より家族、地域間でのコミュニケーションが減少しつつあることが相互不信の状態を生み出しているのではないでしょうか。これらの問題を抱える日本が本当に平和な状態であると果たして言えるでしょうか。僕にはそう思えませんでした。

 

僕がそれらの問題に対してどうアプローチ、いや自分の好きな農業でどのようにして解決に向かえるのか、一年間思考し続けてきました。

 

世界は各国から構成され、各国は地方、地域、家族と縮小されていきます。僕はまず、家族というコミュニティから平和にしていこうと思いました。なぜなら、各家族が平和になれば、それが地域を創り、はたまた国、世界と自然に拡大していくからです。

 

僕は大学卒業後、柑橘を作る農業法人に入って5年間修行し、愛媛で独立して柑橘の生産をします。柑橘のイメージと言えば、冬のこたつを囲んだ家族が会話をしながら食べる姿が目に浮かびます。つまり、柑橘が言語コミュニケーションの媒介者としての役割を担っているのではないでしょうか。

 

その役割をもってして、僕の作った柑橘が言語コミュニケーションを円滑にし、相互不信の状態を脱却、そしてお互いが信頼し合い、幸福へ向かい合えるような場を演出します。

 

僕はそんな柑橘で家族を、そして地域、日本、世界を柑橘という光で照らしたい。

僕の作る最高の柑橘で世界に平和をもたらしたい。

 

そんな理念の下、農業を営んでいきたいと思います。

 

 

 

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この1年はもしかしたらプロローグに過ぎなかったのかもしれません。当然ながら、経験=学びではありません。この経験をもとに僕にしか持ちえない言葉を創り、そしてそれを社会に還元すべく行動していきます。

 

改めまして、一年間本当にお世話になりました。これから僕の序章の幕が切って落とされます。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

白方大海

「国盗り物語」読了

先日の「項羽と劉邦」読破から1ヶ月半も経ち、ようやく「国盗り物語」を読破しました。今作品は全4冊から構成されており、その中でも「斉藤道三編」と「織田信長編」の2部編成になっており、司馬文学の中でも比較的珍しい部類に入るのかな、と思っています。

 

司馬作品を読む上で前提となるのは、フィクションであること。あまりにも克明な人物描写や歴史的背景を如実に描くことであたかもまるで過ぎ去ったかのように錯覚させるのが彼の作品の凄味であり、同時に畏怖すら抱くまであります。

 

今作品では、道三からありとあらゆる哲学を受け継いだ信長、光秀が栄枯盛衰を極めるまでのプロセスが小気味よく書かれており、4冊という長部編成にも関わらず既出の作品以上に読みやすかったのは、彼らのその繁栄から死に至るまでがまるであらかじめ物語の如く運命によって仕組まれていたかのように思わせるからなのでしょうか。

 

信長は本能寺で生に終わりを迎えるに際しても、敦盛の一節「人間50年」を舞ったと言われています。この詩が言うには、諸行無常、すなわち天に流れた時間と比べれば、人生など幻想に過ぎない。生を受けたものには必ず死が訪れる、と汲み取れるでしょう。人生は想像以上に儚いからこそ、今この時間を大事にしろ、とかのうつけから言われているかのようです。

 

さて脱線しましたが、今作品の見所は「道三の意思を引き継ぐ信長と光秀の軌跡」といったところでしょうか。

 

戦国初期、しがない一僧侶だった道三は油売り、そして美濃国主まで順調に成り上がっていきます。ただ悲しいかな、天下統一を掲げた道三にはあまりにも時間が足りなかった。彼が一国の城主の子としてこの世に生を受けていれば、歴史は大きく変わったのかもしれません。

 

その彼の意思を引き継いだのが信長と光秀でした。ここで面白いのが、彼らの性格があまりにも対照的であったことです。既成概念をことごとく打ち崩し、自らが伝統と権威に成ろうとした信長風光明媚を敏感に捉えうる感性を持ち、文化や伝統を重んじた光秀。両者の相容れぬ趣向が対立構造を徐々に深めていき、必然的に本能寺の変を招いたといっても過言ではないでしょう。皮肉にも、「天下統一」という共通の目的を掲げていたのですが。

 

彼らの趨勢を見ていると、かの偉大な哲学者ニーチェの言葉を思い出します。

 

「論理は完全な虚構の見本である。」

 

この戦国時代。各地でひしめく大名たちが私利私欲や義との闘争を経て、複雑極まりない社会構成を成していました。僕自身、これまでの歴史を振り返ってみてこの時代ほど人間が人間であることを感じさせられる時代はありません。人間の欲望がこの時代を発展させたと言ってもいいでしょう。そんな彼らの前に組み立てたロジックの積み木は悉く欲によって壊されてきました。思考の副産物に過ぎないこの論理は現実世界には存在せず、ただただ複雑極まりない要素で構成されている社会に気づかされるだけではないでしょうか。もちろんこれは現代に通ずることでしょう。確かに論理は必要なのかもしれませんが、それがいつも合理的であるとは限らない、ということは念頭に置いておく必要がありますね。

 

前述した通り、僕がこの戦国時代に惹かれるのはその時代を生き抜いた武将たちが己の夢を普段に追い求め、生き方の美学を貫いたからに尽きます。もし自分がこの時代に生きていたら、はたまた今の時代に生きているからこそどう生きるか、と思索は止みません。

 

ぜひね、今作品「国盗り物語」は読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界に色はあるのか。

ども。

 

記念すべきこのはてブロでの記事数が100記事目に突入しました。

 

プラットフォームを変更してだいぶ時間が経ちましたが、旧ブログ含めここまでストックされるとなんだか達成感で満ち溢れますね。日頃見てくださっている方、今後ともよろしくお願いいたします。なお駄文は出すつもりはないので、ひたすらに納得するまで追求してアップしたいと思います。

 

 

 

さて、その100記事目にしてこのタイトル、「世界に色はあるのか」

 

「色」とはそもそもなんぞや、という話で始めたいのですが、ウィキペディアによると、

 

可視光の組成の差によって感覚質の差が認められる視知覚である色知覚、および色知覚を起こす刺激である色刺激を指す。

 

つまり、光の波長の刺激を人間の感覚が捉えたもの、であると理解できます。紫外線やら赤外線やらで一度は理科の授業で見たことがあるのではないでしょうか。では、その感覚が捉えたものは万人普遍的なものなのでしょうか。それは絶対的なものなのでしょうか。そもそも論、僕の見ている赤色があなたの見ている赤色ともしかしたら違う、青色だったなんてこともありえるのではないでしょうか。

 

世の中に、「色覚特性」という概念があります。これは目の特性の1つで、色を識別する錐体細胞が色の認識・識別が多数派と違うそうです。彼らがマイノリティーであるが故に、マジョリティーの目に映る色が普遍的なものとして認識されていますが、実はそうではなく、個人によって色の捉え方が微妙に異なりその集合体としてあたかも色の捉え方が普遍的になっているだけである、のです。

 

ここで疑問に思ったのが、「実際に世界にに色はあるのか」ということです。

 

僕自身の仮説としては、「世界にそもそも色はついておらず、反射する光の波長を個々人の感覚神経がそれぞれ解釈しているに過ぎない」に行き着きました。

 

この仮説を立てたところで何の役に立つんだ、と外野から怒号が飛んできそうですが、とんでもない。大いに役に立つどころか、人間であるが故の根本的な精神性に必要なものだと思っています。この問いから分かったことは、

 

「世界は存在しない。」

 

そもそも論になるのですが、つまり、自分が見えている世界が他者にそっくりそのまま見えているとは限らない、ということです。

 

先程色の認識プロセスを説明しましたが、世界は存在しているわけではなく自身の脳が世界がそのようにあると解釈している、と僕は思っています。もしかしたら、脳が今目の前にある現実をシネマサンシャインで投影される映画のごとく見せているだけに過ぎない、ということもあり得るということです。それがいわゆる「世界」には75億もの本数があるのです。

 

「世界を変えたい!」と思うことも、あなたの物語に出てくる人でそう言う人も現れてくるでしょう。世界を変える前に自分を変えろ、とはまさにその通りで、自分の見えている目の前の事実そのものがあなたにとっての世界であるので、自分を変える、つまりは自分の解釈の仕方を変えることで世界はいとも容易く変えることができるでしょう。

 

また他者の意見の多様性や価値観の違いも受け入れるか否かといった次元の話ではなく、そもそも見えている世界が違うので、理解しがたいが、そういった考え方もあるのか、と認識せざるを得ないのではないでしょうか。

 

 

 

 

耕作放棄地の再考

ども。

 

渋谷に昼ついたのはいいものの、何をしていいのかわからずにハチ公像前で1時間ほど立ち尽くしていた白方です。このクソ暑い中、街行く人々をただひたすら見続けるという苦行を自分に課していました。

 

さて、「日本の農業の問題」というと耳にタコができるどころかもはやタコの養殖場になっているといっても過言ではない耕作放棄地」問題。

 

ただ、漠然と耕作放棄地といっても課題解決の優先度やそもそも再度耕す必要があるのかなど一概に対処できない問題でもあります。これは他の問題(生産人口の減少、高齢化など)にも通じることです。

 

まず発生している場所を二分化してみると、

 

1 比較的都市部に近く、人口が多い町

 

2 過疎化が進行していることに加え、生産人口の高齢化が著しく進んでいる中山間などの農村地帯

 

に絞れると思います。

 

1 の課題としては、就農者(特に新規就農者)と農地のマッチングによってアプローチできるかと思います。農業は技術職の色が濃いので、参入障壁が思った以上に高いです。どのようにして生産人口を増やすために導いていけるかが解決に向けての一歩になるのではないでしょうか。また、既存の農業経営者の所有する農地に集約していくこともできるかと思います。

 

 

2 に関しては、上記のアプローチに加え、そもそも耕す必要があるのかを再度考え直す必要があると考えます。特に中山間に見受けられる耕作放棄地は日中影に隠れていたり、車や機械が入りにくかったりして、そもそも農地に適しているのか、と疑問を投げかけてきます。

 

耕作放棄地を活用することももちろん必要です。しかし、適・不適があるのでそれを全て再び農地として活用することは現実的に厳しさがあります。現実論で語りたくはないですが、耕す就農者たちは資本主義経済体制の中で、農業という経済活動を行わなければなりません。農業に明らかに不適な土地は他の活用の仕方を考える、あるいは自然に返すことも視野に入れる必要があるのではないでしょうか。そもそも農業は自然と調和する産業ではなく、自然から収奪して開拓した破壊的産業であるのですから。

 

耕作放棄地問題のまずとっかかりとして、その農地が農業に適しているのかを検証することから始めなければならないでしょう。現場の生産人口の数もかぎられていますからね。「農業」として活用するのではなく、地域の所有物として地域の子どもたち、高齢者とが一緒に耕してコミュニケーションをとり、文化継承などをしていくなど既存の経済評価軸から逸脱した農地の理活用の仕方も考える余地は大いにあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#就農しろ

ども。

 

毎回東京に来るたびに、高層ビルに睨まれているような感じがする白方です。特に渋谷のOIOIは完全に僕のことをじっと見つめていました。多分あれは恋ですね。

 

 

さて、最近こんなハッシュタグSNSを騒がせていました。

 

#起業しろ

 

なんてパワーワードなんでしょう。めちゃめちゃ攻めてきてますよね。しかも学生にむけて。

 

ただ、学生が起業というのはむしろ賛成派で。なぜなら失敗したとして次への選択肢は残っていますし(就職なり、その失敗が未来への足かせになりにくい、と思う。)、成功すれば社会的インパクトは大きいですしね。最近は高校生までが起業しているそう。もうすでに下からの突き上げが起きていることに、心強さと幾ばくかの焦りを抱きますね。

 

さて、この1年現場を見続けてきて強く思ったことがあります。それは、

 

 

 

現場に同世代が片手に数えるほどしかいない。

 

 

 

もちろん僕の経験則なので一概に、とは言えないのかもしれませんが、それにしても少ない。

 

学生ボランティアや援農プロジェクトで大学生を中心に畑で農作業をしている人が多いです。一昔前では考えられないことのようで、農家さんからは若者が畑にいるだけでありがたい、とお声がけしてくださるぐらいです。身近に僕の周りでも多くの人が継続的に農業体験をしたり、または運営をしています。

 

ただ、そういった人たちが現場に流れていないということはやはり運営する側が課題の1つとして考えなければならないのではないか、と僕は思っています。そもそも若手の就農を目的に援農イベントを企画・運営をしている人たちが就農しないのに、そのイベントに何の説得力があるのでしょうか。

 

確かに、現場を知り自分たちの食べているものがどのように作られているのかを知ることは非常に重要ですし、別に参加・運営する人すべてに就農しろ、と強要しているわけではありません。

 

ただ現場は刻々と高齢化が進んでいます。40、50代の人たちが若手と言われるほどです。今は筋骨隆々な彼らが日本の食糧生産を担っているのかもしれませんが、引退した時、果たして誰がその農作物を生産するのでしょうか。適正人数に達する後継者は育っているのでしょうか。

 

社会に出て就職して経験を積んでから、と言う同期や大人は非常に多いです。しかし、それは本当に正しいなのでしょうか。

 

専業農家を中心に、今の農家さんは現場で毎日絶えず思考して経営を行っています。生産から販売までの途絶えることのない生産プロセスを1年単位で回しています。IoTやSNSの普及で消費者へのアプローチが容易になりましたし、もちろん商談会や販売会など対面での販売にも精を出しています。もうすでにベンチャー企業のようなビジネスをしているんですよ。

 

彼らの経営努力を見ずして社会に出ることが必要だ、と言うのは僕は侮辱しているとしか思えません。確かに、他の領域を知ることは大切かもしれません。ただ、何が正解かわからない人生なのだから、今やりたいことをすればいいじゃないですか。自分の感性に素直になればいいじゃないですか。それが農業なら卒業後、すぐに就農すればいい。ためらう必要もあなたが参入する障壁も何もないんだから。

 

だから、農業をしたいけど社会や他人にかけられている同調圧力なんか振り切って、#就農しろ。