私とあなたと、世界とは何かというだけの話。
「世界は何でできているのか」
誰しもがこういった類の問いを一度は抱いたことがあるのではないだろうか。
「生きるとは何か」、「死とは」、「存在とはどんな状態を指しているのか」…。
先の問いに対して、「鉱物でできている」だとか無味乾燥な解を求めているわけではない。
結論から鍛高譚と言うと、僕は世界は言葉でできている、と思っている。というよりも、そう考える他ない。(ここで「世界」とは「惑星の地球」、としてではなく、「自分の捉えうる世界=自分の認識限界」と定義しておくことにする。)
なぜなら、知らない言葉を私たちは存在として認識することができないからである。
例えば、好きな食べ物を聞かれた時、普通は今まで食べたことのある食べ物から選択するはずである。食べるという行為を通して、それに対する感性を言葉にし、好き嫌いを判断しているはずだ。
逆にここで食べたことのない食べ物、つまり言葉にできていない何かを判断基準として判断することはできない。(世界に存在していない=言葉が世界を創っていると言える)
自身の世界の広さは持ちうる言葉の多さに比例するのではないか。自分の言葉が多ければ多いほど、捉えうる世界の広さは半無限に広がっていく。
少しでも自分の「世界」が豊かになるように、言葉と出会いに行こう。