全国農家さんのとこ行っちゃう?日記 178日目
ども。
金沢に宿泊しているのにも関わらず、ゲストハウスの中で日本人が僕とフロントの方2人というガッチガチにグローバル化が進んでいる朝でした。昨日はインド人やドイツ人の方と、そして朝は中国の方とおしゃべりしていました。久しぶりに英語話した・・・。
さて今日、ついに畑が待つ高山へ到着予定で朝からワクワクしていました。マジで昨日は一睡もできま・・・した?爆睡警報発令していました。昨日金沢に到着するやいなや雨が降り出していたので、残しておいた兼六園と金沢城を見学した後、いざ高山へ走り始めました。
桜もいい感じで残っていたし、
兼六園の趣も非常に良き。
それからですね、100キロほどであったので、おそらく3〜4時間ほどで着くだろうと思ってい比較的楽に走り始めました。
ん・・・?
なんだか思った以上に険しいな・・・。
残雪がまだまだあり、寒さも上るに連れて一層厳しくなってきました。いや、はっきり言って原付やばいよ?チャリはまだ身体動かして代謝が起こるから暖かくなるけど、原付は歌っても一ミリも暖かくなんないからね?残雪も結構行くと僕の身長を超えていましたからね・・・。
まあ、原付で走るところじゃないですよね???
そしてついにあれが起きたんですよ。あれです、あれ。
いや、ここで止める?
道に迷ったのもあり、80キロは走ったよ?先方に連絡し、一旦富山市で体勢を立て直すことになりました。
けど、申し訳なさはあるものの、別に悲壮感や苛立ちは全くないんですよ。
僕は幸福と不幸は神様がPL上で管理してくれていると思っています。いわゆる簿記で仕分けするあれですね。幸せなことが起こっても、それと同等の不幸がやってきます。そのまた逆も然りです。だから一喜一憂している暇というか、もはや意味すらないんですよ。今回せっかく長距離走ったのに、あと後少しのところで道が寸断されてしまいました。けどその時、「まあこの不幸が借方に計上されたから、この後貸方に幸福が計上されるんだろうな〜。」としか思わないんですよね。
そして帰路につくと、行きしは見えなかったブルーベリー農園を見つけたんです。そしてなんとですね、農家さんが作業をされていたので「お〜〜〜〜〜い」と声をかけてかくかくしかじかと話しここから高山へどうやっていけるのか、そして農園を案内してもらったりこれまでの話をしてくださったんですよね。もう最高に幸せなひと時でした。ここで貸方に幸福が計上されたってわけです。
だから失敗が起こると次はどんな幸せなことが起こるんだろう、と逆にワクワクが刺激されるんですよね。幸せなことが起こったら、次の不幸に備えて気を引き締めようとなるんです。
幸福は不幸を理解して初めて認識できる概念だと思っています。この世が幸福だけで満ち溢れることはほぼほぼ無いと思います。不幸があるから相対的に幸福が生じ、幸福があるから不幸が可視化される。
そんな幸福と不幸が連立して起こる矛盾したような世界を愛するしかないんじゃ無いでしょうか。
では。