大人たちは「失敗しろ」と言うけれど。
「若い時は失敗しろ!」
とよく言われる。おはよう、こんにちはレベルで言われる。耳にタコができるどころか、すでにタコの養殖場になってしまっていて、今すぐに生ダコの刺身で居酒屋を4店舗ほど経営できそうな状況だ。(するとは言ってない)
自己啓発の本を開ければ、授業で、講演会で皆一様に「失敗しろ」と。
これに対してすごく聞きたいんですけど、それを言う人たちは皆失敗に向かって走っているのですか、と。
確かに、失敗はたくさんの学びをもたらしてくれる。なぜなら、失敗が起きた原因に自身の欠落した何かが潜んでいる可能性が高いからだ。
しかし失敗は学びになるが、学びは失敗だけからしか学べないわけではないでしょう。失敗は学びの糧になりうる要素を幾分か含んでいるけど、失敗を体験すれば学びになるわけではない。
あらゆる事実から自分が思考プロセスを通して、自分の言葉にしなければそれは学びにならない。学びの糧を後々見てみると、失敗という事実が多かった、それに過ぎないのである。
人生において、全て成功している人が仮にいたとしたら、彼はその成功から学んだり、他者の失敗から学んでいるはずでしょう。逆に失敗しかしていない人でも、それから自分の言葉を創ることができず、前に一向に進んでいない人もいるでしょう。
僕は失敗を望んで行動しているわけではない。むしろ、成功(僕自身の定義として、自分の関係半径数メートルに存在している人を幸せにすること)することのみを考え、知略を練り、わずかばかりの胆力と覚悟を携えて未来に足を運んでいる。
だからこそ、「失敗しても大丈夫」なんて絶対に思いたくはない。